受験勉強今むかし

ねーねー、ママ聞いて!と、オシメ様が興奮した声で言ってくる。もう22時過ぎ、夕食を終えてソファでぐうたらしており、そろそろ寝ようかなと思っていたころだった。

今、英作文の演習をしてるんやけど、とオシメ様は続ける。オヤジ先生(英語の担当教師)に添削を頼んでも返事が返ってくるまで1ヶ月くらいかかるから、いっぺんChatGPTに放り込んでみてん。「この英文についてアドバイスをください」って。そしたら見て!

オシメ様が見せてくれたパソコンの画面には、文法の誤りの修正はもちろんのこと、「この表現よりもこちらのほうが一般的です」とか「結論をまとめるときは、別のこの表現を使ってより強調する方がいいでしょう」などというコメントともに、改善案としての英文が表示されている。放り込んで一瞬でこれやで!オヤジ先生もういらんわ! オシメ様は続けた。

これが現在の受験勉強か…。あまりの変化に驚くばかり。

そういえば、先日苦手な日本史対策のため、塾の先生から日本史の流れをつかむにはこれがいいよ、と『金谷の日本史』という参考書を薦められた。早速購入(ジジババはプレゼントに図書券を用意しがち。これまでろくに使っていなかったので、オシメ様は現在図書券大富豪)して読んでいるのだが、なんとAudibleをお供にしているのだ。Audibleの朗読を1.5倍速で聞きながら、目で文字を追う。「めっちゃ頭に入るでぇ」と満足げに言われたとき、うらやましくて仕方なかった。

ChatGPTはともかく、この勉強法は、私が高校生の時にものすごく熱望したやり方だった。受験勉強の記憶科目は、特に耳から覚えると効果的だ。元素記号だって語呂合わせの節回しを唱えることで覚えるではないか。いろんな勉強を進めるたびに、この参考書の朗読版を聞きながらならもっと頭に入るのに!と何度思ったことだろう。当時も名俳優による朗読テープなどはあったが、非常に高価だったし、発売されているものは文学作品ばかりだった。

受験勉強も技術の進歩によって変わっていく。私の時になかった効率的なやり方が生まれる一方で、私の時になかったような能力が求められるようになったりして、どの時代の受験生も苦労があるのだろう。そうは思いつつも、やっぱり「私の時にも欲しかったな…」と思わずにはいられない。

思考回路の土台

6月を最後に生理がない。

2020年の夏に異変を感じて婦人科に行ったことがあるが、その後2022年の夏にも少しリズムが狂った。そして今回だ。私の不調は2年ごとに来るらしい。しかし6月までは、基本的に30日前後の安定した周期(5回に1回くらい60日ほどあいたが)で、量も期間もこれまでとは特に変わりがなかったので、こんなふうに「ピタリ」という感じで止まってしまうとは思わなかった。なんとなく、ゆるゆる量が減り、1回の期間が短くなり、間隔が空き、その間には、ホルモン不調でイライラしたり、火照ったり頭痛がしたりといった不調も生じて、その挙句…といった「フェードアウト」なイメージがあった。

しかし、そんなイメージとは全く違った。今のところ大きな体の不調も感じない。(たまに夜中にカッと汗が出ることがあるが、エアコンのタイマーが止まったためなのかホットフラッシュなのかは定かではない。)女性ホルモンが減るとγ-gtpが増えると聞いた。確かに3,4年前から、これまでなんともなかった血液検査の結果がすこーし悪くなった。知らないうちに体は着々と変わっていたのだ。

今年の健康診断を受ける際、事前に問診表を提出しなくてはいけなかったのだが、もしかすると突然復活するかもしれないと最終月経開始日の欄を埋められなくてギリギリまで提出できずにいた。結局復活はなく、6月の日付を書いて提出した。当日、検査開始前の問診の際、看護師さんが「最終月経から日にちが空いていますが、コレの可能性はありますか?」と問診表の「妊娠」の文字を指し示す。はっとした。「ここ数ヶ月生理がない」=「閉経の可能性」としか考えていなかった。でも、そうだよね、まずは「妊娠の可能性」を考えなきゃね(ありえないけど)。

もうすでに、思考回路の土台が「更年期」になっている。それを知ったことが、今年の健康診断で一番重要な診断結果なのかもしれない。

無口

社内がやけに静かだった。

人事系のネットワーク環境がやっと復旧したので人事がセンターから引き上げることができ、数ヶ月ぶりに人事全員が本社にそろっている。だから本社にいる人数としてはいつもより多いくらいだ。なのに静か。確かに、ひっきりなしに電話がかかってきては応対に追われているFGLは不在だったし、声が響きがちなミチナガさんも出張でいない。心なしか経理にかかってくる電話も少なくて、ネッシーさんたちの声もしない。午前中の外出から戻ってきて、ふと「なんか、静かだ…」と思った。気づいてしまうと、妙に居心地の悪さを感じた。

メールチェックしたり、交通費の精算をしたり、午前中のうちに机に置かれていた書類を確認したり…と自分の仕事をやっているうちに気が付いた。「私がしゃべってないじゃん」。フロアが静かだったのは事実だが、この居心地の悪さは、私自身が常になく無口なことに起因している。

午前中はFGLと2人で大阪の取引先を回っていた。2人だけで歩き回るこの時間は、言わば「長いエレベータートーク」だ。普段なかなか話せずにいる懸案事項や、メンバーの状況、まだ正式には話せないだろうが事前に知りたい情報などをちょろちょろ聞き出したり、聞き出されたり、吐き出したり、吐き出されたりする、案外貴重な時間。

今回のもろもろを受けて、上つ方たちの間では、なかなかにシビアな話し合いが行われているようで、FGLはその内容をちょっとつぶやいたりする。詳しいことは知らされていないが、私も経理として、議論のもとになるデータ作成や資料の精査などを行うことがあり、FGLとしては何も伝えないまま資料作成だけをやらせるのは良くないと思っているようだった。「どみそさんは口が堅いから」とFGLは言うが、残念ながらそれは、私が「ねぇねぇちょっと!アタシ聞いちゃったんだけど!」と給湯室でひそひそ話をするような仲間がいない寂しいヤツであるという証拠だ。

私が「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴ぼこは、オトノ様との夕食の席にある。今日のエレベータートークでは、ある計画を知ることとなった。身近な人たちにとって非常に大きな影響を与えることとなるその計画は、もちろん誰にも言えないし、私がすでに知っているということを誰にも知られたくない。ただ無口を貫くしかないのだ。

今夜「穴ぼこ」にたどり着くまで、私はこの居心地の悪い無口に耐え続けなければならない。

喪失の年

2024年はどういう年だったかと問われれば「喪失の年だ」と答えるだろう。今年の総括にはまだ早いのだが、その言葉しか浮かんでこない。

まずは年初の能登地震。直接被害を受けたわけでないが、元旦という日にこのような災害が起きたことで、いつだって、どこだって安全ではないという恐怖を感じた。災害は時と場所を選ばない。今まで根拠なく信じていた「安心感」がなくなって、ひどく不安になったことを覚えている。

そして5月末からの一連の騒動。

入社から二十ン年、「小さいけれど、ちゃんとしたいい会社じゃん」と思っていた会社への信頼がボロボロと失われていった。ひとつひとつの原因が明らかになるにつれ、ウチも結局はいい加減な中小企業マインドの会社だったのか、と失望した。賞与がなくなる、退職金がなくなる、そして職を失う…具体的な「喪失」の不安がいくつも襲ってきた。今後「戦略的ダウンサイジング」を行う中で、さらにいろいろ失っていくのだろう(ただ、そんな大鉈を振るっていく場に立ち会えることに少しわくわくしている自分もいる)。

大丈夫かとメールしてきた部長(元)に、「なんとかぼちぼちやってます」と当たり障りのない返信をした。元上司だからといって今は部外者。私の立場では話せないことも多い。木で鼻をくくったような返事だと思われたのか、部長(元)からはその後何の連絡もない。これも「失ったもの」のうちに入るのかなと思う。

さらに、二十年来の美容師を失い、十年来の傘を失った。いずれも新たなものを得たけれど、今は喪失感の方が大きい。

そして、「子ども」のオシメ様を失った。実際のところ今年で成人を迎えたし、受験期特有のイガイガ(それは反抗期であり、自立の過程だったのかもしれない)を経て、オシメ様との関係が今までとは少しニュアンスが変わったとを感じる。親離れ・子離れというのだろうと頭ではわかるのだが、「私は”子ど時代のオシメ様”を永遠に失ってしまったのだ」という把握が、今のところ一番しっくりきている。

何日も口を利かなかったり、○○大卒ごときに偉そうに言われたくないなどと悪態をつかれても、一転して「母ちゃん大好き」とベタベタ抱きつかれても、ああ、この子育て期間もあと数ヶ月で終わるのか、という感慨に帰結する。残りわずかな子育て期間、どんなオシメ様であろうと受け入れよう。

まだ辛うじて残ってはいるが、子育て期の終わりが見えてきた今、「親である限り、我が子をしっかり育てないといけない」という義務感や気力もまた、私が2024年に失ってしまうものになるのかもしれない。

難民からの脱出

そろそろなんとかしなくてはと思いつつもずぐずしていると、オシメ様が「このあいだ散歩してたら、いい感じのお店見つけたし」とホットペッパービューティーで強引にカットの予約を入れてくれた。とはいえその美容室の場所も「あのへん」くらいの認識しかなかったし、なんにしても初めての店でもあるので、オシメ様が付き添ってくれることになった。

私を担当してくれたのは、ナナホシ君より少し若いくらいの男性だった。オシメ様のアカウントで予約をしたものだから、ずいぶん若いお客さんが来るんだなと思っていたそうな。フロアには私を含め4人の客がいたが、いずれも私と同年代の女性だった。この店の客は40〜50代の女性が中心らしい。開店から30年を迎えるとHPに書いてあったから、当初からの客が店とともに育っていったということなのかもしれない。

ナナホシ君のところへ通っていた時は、平日夜か週末朝イチの時間に行くことが多かったので、他の客に会うことがあまりなかった。だから目についたのかもしれないが、ここでは全員が白髪染めをしていた。一般的なヘアカラーなら、何色にする?今回は明るめ?などと色見本を見ながらの相談タイムがあるはずだが、そんな会話は一切なく、黒いシートをかけられてテキパキと薬品が塗布されていく。隣の人は私より10歳は若そうだったが、スタッフは彼女と「すき家」と「吉野家」どっちの牛丼が好きかといった話をしながら、せっせと黒い染料をかきまぜていた。一人帰って入れ替わりで入店した客も、おもむろに白髪染めから施術が始まった。

初回だからとりあえずカットだけ、まずはお手並み拝見、という流れだと思われたかもしれないが、私は基本的にカットしかしない。ナナホシ君の時は、コスパ悪い客でごめんね、という思いから、たまにヘアオイルを買ったり、オシメ様を連れて行ったりと「配慮」をしていた。いずれここでもそういった「配慮」が必要になるのかもしれない。

毛量多いですねーと言われながらも1時間程度でカットは終わり、ひさびさにさっぱりした。いつもの私の髪型に戻った、という感が強い。特に不満はないし、次もここへ行くのかなぁと、ぼんやりと思った。美容室難民終了かというと、どこかまだふわふわした感じがある。二十年間の喪失を受け止めるにはもう少し時間がかかりそう。

エンディミオンの後押し

『25時、赤坂で』というBLの主人公 麻水さんは恋人の白崎くんの誕生日に香水を贈る。「アクセサリーはつけないから(中略)何か側にずっとつけておけるものを」と。そして、白崎くんはその香りをまとい仕事場へ向かう。そんな彼に思いをはせて、麻水さんは願うのだ。「(あの香りが)少しでも君を強くするものであったら」と。

たかが香水、されど香水。そんなものに勇気づけられることは確かにある。8年前、入社以来十何年過ごした人事部を離れ、経理に異動になったばかりのころは、毎日が緊張の連続だった。右も左もわからない落下傘トップ、なまじ社歴が長いだけにゼロから教わるわけにも行かないし、こちらも少々のプライドがあるから自分で何とかしたいとも思う。常にピリピリして、わからないことをわからないなりに間違えずに判断するにはどうしたらいいかと気を張ってばかりいた。

それまで香水は、気が向いたらたまに付ける程度のものだった。加減がわからないので、いつも、シュッシュと2回ほど天井に向けてプッシュし、その霧を頭から浴びる程度のものだったのに、仕事の合間合間にふと香る。それを感じると、ちょっとテンションが上がる。自分をさらに上向かせるような、そんなアイテムだった。

異動したばかりのころは違った。香りは、ともすればネガティブになって下へ下へと沈んでいきそうな気分を一定水準に持ち上げてくれるものとなった。うっかり2プッシュの霧を浴びずに家を出た日、「あ、香水忘れた!」と気づいた瞬間に自分でもどうかと思うくらい落ち着かなくなって、香水を付けに帰ったことがあるくらい、私を支えるものだった。香水は確かに私を「少しだけ強く」するものだった。

当時使っていたのはペンハリガンの「エンディミオン」。彼に何度背中を押してもらったことだろう。業務を覚えていくとともに、いつしか香水を付けなくても平気になっていったが、それまでの間、あの不安定だった私をずっと支えてくれた。

このたびオシメ様は、地方の大学を受けるため前泊することになった。荷物の準備について熱心に説く。筆記用具も受験票も明日のパンツも大事。けれど、「いつも使っている化粧品とか、そういうの忘れちゃダメ」と。

受験生に化粧品を忘れるななんて言う親、ウケる~とオシメ様は笑う。でも私は知っている。そういったものが、緊張を強いられる場で自分を少し強くしてくれることを。

決め手はネット

歯の定期健診に行ってきた。4ヶ月に1回程度は来てくださいねと言われて、今回が2回目の検診。虫歯をきっかけに今の歯医者に通いはじめてほぼ1年、言いつけどおりに検診を受けている。そもそもこんなにきちんと検診を受けること自体がこれまでにないことだ。

たった2回で何をえらそうに、と思うだろうが、私にしては珍しく続いている方だ。理由のひとつは「年齢」。このトシになると、健康、とりわけ「歯の健康」というのは非常に重要だ。「行かねば」という意識が強くなっている。40代に突入したころから、毎年「定期的に歯医者に行く」という目標を立てては実行できずにいたが、いい加減ちゃんとしよう、と思いを新たにしたことは大きい。

そして、もうひとつの理由、「ネット予約ができる」。むしろこっちの方が大きい。

歯医者というものは、当日飛び込みで行きにくい。「急患OK」などと掲げているところももちろんあるが、以前通っていた先生は露骨にイヤな顔をした(前歯の詰め物が取れて慌てて駆け込んだのだが)。しかしこちらも行ける日が限られている。

どこの医院も予約は主に電話だが「○月○日の○時は…」「そこは埋まっています。」「では○日の○時…」「そこもダメですね」と進展のない会話を繰り返すことになる。「1ヶ月先まで埋まってます」なんて言われることもある。こちらも働いているので、診察時間内に電話できるタイミングも限られている。1ヶ月先なんて言われても電話口ですぐに「じゃあその日で」と即決することはできない。そんなこんなで電話をするのも億劫で、気が付けば1年が経過、新たに新年の目標を立てる羽目になる。

しかし、ここはネット予約だ。受付サイトにアクセスすれば空いているコマが一目瞭然。直近の予定を確認し「あ、この日時なら行ける」と即決できる。ネットだから夜遅くや早朝に手続きをすることだってできる。楽だ。これを、これを求めてたんだよ!

選んだ決め手が医者の腕前と全く関係ない点というのもどうなんだろうとは思うが、私にとってはこれが一番重要。確かに通いやすい場所にあるし、先生の印象も悪くない(検診担当は歯科衛生士さんなので、先生とは初回を除いて関わりがないが。ちなみに歯科衛生士さんはとても丁寧で良き)ので、そこはラッキーだった。しかし何より「ネット予約」。このニーズを満たしてくれている以上、私はここに通うんだろうな、と思う。

次回の健診は年明け早々。ネット予約受付システムにどれくらいコストがかかっているのかは知らないが、ぜひぜひこのサービスを続けてくれますように!