お迎え待ちの教室を覗き込んだとたん、オシメ様と一緒に遊んでいたのりたまちゃんが飛びついてきた。「オシメちゃんのお母さん!」のりたまちゃんは言う。「のりたまにも、コレ買って!」
あ、ヤバイな、と思う。のりたまちゃんの腕には先日オシメ様に与えた虫除けリング。両腕用ということで2つセットだが、「オシメ」と名前を書いたリングをのりたまちゃんに1つ貸してあげている格好になっている。
古い禅寺の境内にある保育園は、夏、猛烈に蚊が多い。これでもかというくらい蚊取り線香を焚いてくれてはいるが、お迎えに来たわずかな間にも1つ2つかまれてしまう。1日いるオシメ様はどれほどかまれることか。朝出かけるときにスプレーをしてやるが、汗をかいたりプールに入れば意味はない。ねだられたこともあるけれど、虫除けリングへの乗り換えは、私にとって自然な選択だった。
当然のことながら、小さなお子様たちの間にも社会はある。リングを持っている子とそうでない子の間には、微妙な空気が流れることがあるのだろう。ただでさえオシメ様はひとりっ子。保育園で用意するよう言われて購入したコップも、お姉ちゃんのお古の「プリキュア5」じゃなくてオンエア中の「ハートキャッチプリキュア」だ。今年の夏はサイズの合う服と靴がなくなってしまい、いくつかまとめて買った。
おまけに父方母方双方の祖父母にとっても、唯一の孫。4歳の誕生日には両祖父母、叔父叔母、父母のみならず、私の叔母からもプレゼントが来た。典型的な6 Pockets Child。こちらとしては必要に迫られての購入であり、特に過剰に何かを与えているつもりはなかったが、他の子から見れば、しょっちゅう何か新品を持ってくるオシメ様は「なんでも買ってもらえる子」になってしまっているのかもしれない。
一度は子どもを経験した者として、それが子どもにとっていかに鼻持ちならない存在であるかはよくわかる。そういえば、このところ立て続けに「○○ちゃんにペンされた」「▲▲ちゃんがあそんでくれなかった」というようなことを聞く。兄弟がいないことも、いとこがいないこともオシメ様の責任ではない。でも、多すぎるポケットの代償は、何かの形で現れる。子ども社会における自分の子どもの位置づけを気にするようになるなんて、本格的なハハ業が始まった。
母親が教えるのは、「サバイバル術」だと内田樹は言う。いかに生き延びるか。その最強の手段は「他から突出しないこと」。 Pocketに由来した非凡を排除するところから始めよう。