そうそう中だるみとばかりも言っていられない。ここらで良いカンフルになってくれることを期待して、Mさん主催の「町家めぐり歩きツアー」に参加する。地下鉄の駅に集合したのは20人程度。秋晴れの一日、なぜかマスコミ取材まで入り、大人の遠足といった体でひとかたまりにぞろぞろ歩き出す。今回は7軒ほど見て回る。「ああ、やっぱり町家ってええわー」とパリ邸への気分が盛り上がればよし、パリ邸より魅力的な町家があればなおよし、といったところだ。
そもそも町家とはなんなのか。オトノ様は原理主義者から現実主義者まで町家に関わる人と仕事をしているのでいろいろ知っているのかもしれないが、改めて聞いたことはない。私はと言えば、いわゆるNHK「美の壷」などに出てくるイメージしか持たない。麻生圭子が垂れ流す「町家のノリ」程度のことしか知らない。
だからいつも戸惑うのだ。私が見る町家は、みんな中途半端に古くさい。昔なら杉板が張ってあったであろう外壁が、木目調のトタンになっているのはご愛嬌。入ってみれば、他の空間から浮いた古いシステムキッチンがある。壁には一面にベニヤ板が張られている。キラキラ光る綿みたいなものが練りこまれたモルタルが塗ってある場合もあった。和風の庭に、ガーデニング用の柵と色あせた小人型の植木鉢。そうやって現代風に手を加えているくせに、なぜかどこの家も階段だけは昔のままだ。古い使い込まれて黒光りしている木の板。池田屋か? と言いたくなるような手すり。階段落ちにはちょうどいい勾配。これだけ切り取ればなんとも味わい深いのに、これだけが残っているから、浮いてしまってかえって侘しい。町家に期待する「昔らしい趣」はない。時代的に新しいものが古ぼけているのは、見ていてとてもいたたまれない。これを町家と言うからには、ただのボロ家とどう違うのか。
「"市内にある木造の古い家"という定義だけではあかんかもな」。私の疑問を受けてオトノ様が言う。そう、浅はかかもしれないが、町家に住みたいと思う人が思い浮かべる「ザ・町家」があるんだ。それこそ麻生圭子が唱えるような。水周りなどが徹底的に現代化されているパリ邸はあまりにキレイ過ぎて、なんちゃって町家ごっこのように見えた。これは「ザ・町家」ではないんじゃないかと思っていた。けれどモルタルベニヤトタンの連続を見ていると、パリ邸はなんとまともな形で修復されたんだろう、と大家さんの太っ腹ぶりが改めてわかる。
そういう意味では、パリ邸の価値がわかるカンフルとは言える。けれど気分はいまいち盛り上がらず。中だるみ状態は解決されないままだ。あああ、求む。もっと強烈なカンフル。