変異種が見つかったにもかかわらず、ビジネス目的の入国は制限しないと「強い思い」表明した首相。1週間たったかたたないかのうちに、一転制限。本当かどうかは知らないが、変異種登場という危機的状態になっても入国制限に踏み切らなかったのは、ビジネス客とは名ばかりの中国人観光客の経済効果に期待したからだとか、技能実習生を入国させたいからだとか、いろんな報道を見た。
そういえば、1回目の緊急事態宣言のときだったか。確か、技能実習生が入国できないため農家が野菜を収穫できずに困っている、というニュースを見た。菅さんは、技能実習生が来なければ農家は立ちいかない、入国制限をしないでくれと陳情を受けたのだろうか。コロナで職を失った人も多いのだから、代わりにその人たちを雇えば…と思いかけてやめる。たぶん、技能実習生の賃金では誰も生活できない。農家も一般的なバイト並みの賃金は出せないだろうし、仮に支払ったとすれば、野菜の価格は高騰、私たちが買えなくなってしまう。ビジネス客の入国を認めることは、コロナ防疫面ではリスキーだが、日本経済を支えるという点では重要なのだろう。
一方、安い賃金でこき使われる技能実習生は現代の奴隷ともいわれる。酷いあつかいをされる中で不慮の死を遂げた人もいると聞く。安い賃金で働かされた人が作ってくれたおかげで安く提供される野菜を食べる安月給の私たち。野菜の値段が安いから高い賃金を出すこともできない農家。だれも幸せになっていない。このループはどうやったら断ち切れるのか。
「利益の最大化ではなく、社会的利益の最大化を目指すべきだ」というユヌス氏の主張は、このことなのか、これがソーシャル・ビジネスの目指すものなのかと、ここまで考えてようやく思い至った。本を読んだときには、何が違うのかあまり理解できなかったのだけど。
また、これは「100分de名著」今月のテーマ『資本論』の内容にも通じる。労働とは、資本とは、富とは、価値とは。
ただ、生まれてこのかた、資本主義経済しか知らず、高度経済成長期の残りかすとバブルのにおいをかいで子ども時代を過ごし、バブル崩壊とともに就職し、社会人として生きてきた私。やはり、何をどうすれば「利益」ではなく「社会的利益」を「最大化」ができるのか。私の「社会的利益」を何に設定するべきか。まだイメージできない。もう少しモノを知る必要がある。